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オールド日記

 

オールド日記 

オールド日記  2019/11/19

おはようございます。

今日も我が家の小さな住人は元気ですよ。・・・ていうより元気すぎるかな。・・・とにかくよく動きます。エサをあげると
飛びついてきます。昨日水を変えたんですが、うっかりして水草を全部流してしまいました。「ホテイアオイ」 みたいなちゃんと見える水草がいいんですが大きすぎます。小さいのがあるといいんですがね。

昨日は江戸時代の貨幣の話を書きましたが、今日は「江戸のお風呂」を書いてみます。
有料の風呂屋である「銭湯」は、関東では湯屋(ゆうや)、関西では風呂屋と言われていました。

江戸の「銭湯」の歴史は古く、徳川家康が江戸入りした翌年1591年夏に、現在の大手町・呉服橋の近くにあった錢瓶橋のたもとに第一号店が営業を開始しています。始めたのは、伊勢出身の与一というもので、現在のような洗い湯に入る型式ではなく蒸し風呂でした。

風呂銭は一文でした。建設途上の江戸は、土木建築作業の人足が多かったので、銭湯は必要とされずいぶん繁盛したようです。一気に多くの銭湯ができました。

蒸し風呂方式の銭湯が、洗い湯になるのは江戸時代も後期の事です。銭湯の営業時間は、夜間は火事の恐れがあるため、朝から夕方まででした。また風が強くなると時間に関係なく営業はやめました。

男湯と女湯の区別はなく「入込湯」という混浴でしたが、寛政3年(1791)正月、老中松平定信はこれを禁止し、別々にしました。・・・(野暮な老中ですねえ)

男湯の二階は社交場になっていて、湯上りの男たちは、裸のまま世間話などをしていました。その会話をデフォルメして文章にしたのが、式亭三馬の『浮世風呂』です。

今日はこれで失礼いたします。・・・お体お大切にお過ごしくださいませ。・・・では・・・by
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Category: 日記

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